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2012 エジプト展 ツタンカーメン展 大阪 東京へ行く前に・・・。

いよいよ待ちに待ったツタンカーメン展が近づいてきました。


  • ツタンカーメン展に行って来ました

  • まずは、大阪会場からです。

    展示会の開催情報は、前回、前々回で紹介しましたので、今日は展示会前の「ツタンカーメン」勉強会です。

    ツタンカーメン展・大阪天保山特設ギャラリーでの開催詳細情報と東京会場情報 - おすすめの口コミとレビューのサイト


    エジプトでツタンカーメンのいた時代

    ツタンカーメンは、古代エジプト王国のファラオ(君主:王)でしたが、統治した期間は、紀元前1333年–1324年の第18王朝といわれています。

    ところで、この紀元前1333年–1324年ですが、日本でいうと、縄文時代の終わりあたりになります。

    日本人がまだ竪穴式住居なるものに住んでいた時代です。

    なんか、かなりエジプトの方が文明が進んでいたのかなー・・・みたいな感じです。

    現在の学説では、縄文時代は草創期(紀元前1万5000年〜前10000年)に始まり→早期→前期→中期→後期(前2500年〜前1300年)→晩期(前1300年〜前950年)となり、この後が、弥生時代です。

    この時期、まだ日本では、稲作も始まっていなかったのではないか?とも言われています。



    エジプト王、ツタンカーメンの名前の由来

    ツタンカーメンは、厳密にはトゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)と言われていました。

    トゥト・アンク・アメン(Tut-ankh-amen)は、「アテンの生ける似姿」という意味です。

    アテン(Aten)とは、エジプトの太陽神の事です。

    当時一般的であった、物や人間的な形をした他のエジプトの神々と異なり、先端が手の形状を取る太陽光線を何本も放ち、光線の一つに生命の象徴アンク(十字)を握った太陽円盤の形で表現されていた神でした。

    初期には従来の太陽神ラーと同一視されていましたが、その後「神」という性質は薄れて天体としての太陽を表すようになりました。

    アテン(Aten)は、ツタンカーメンの父でもある、アメンホテプ4世が特に崇拝した神です。



    エジプト王、ツタンカーメンの生涯

    ツタンカーメンは、前の王であるアクエンアテンの死後、エジプト王に即位すると伝統的な神であるアモン=ラーの信仰を復活させ、そして自らをトゥトアンクアメン(「アモン神の生ける似姿」の意)と改名したのでした。

    王になった後、首都をアマルナからテーベに戻したりしたと言いわれています。

    また、ツタンカーメンの話によく出てくる話題としては、王妃アンケセナーメンとの夫婦仲が非常に良かったといわれています。

    しかし、その後若くして死に、王家の谷に葬られました。

    ツタンカーメンの死後は、王位は王家の血を引かない大臣や将軍たちによって引き継がれてゆくことになりました。



    エジプト王、ツタンカーメンの魅力

    何故かしら、エジプト王ツタンカーメンには、私を引き付ける魅力があります。

    いくつか挙げてみると、

    ツタンカーメンの墓、発掘の不思議

    ツタンカーメンのミイラ(死亡推定年齢が19歳?)


    ツタンカーメンの死因
    他殺説の容疑者
    頭部打撃説
    骨折からの感染症
    毒殺説
    鎌状赤血球貧血症説
    などなど・・・

    いろいろなエピソードを、また、投稿させて頂きます。


    チケットぴあ  「おとくピア」→イベント・アート→ツタンカーメン展にて

    ツタンカーメン展

    最高〜♪♪♪

     


    チケットぴあ

     

     


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